私が小さい頃から(たぶん生まれる前から)我が家にはアコースティックギターがあった。
おそらく父(または母)が青春時代に弾いていたと思われる(?)それは、物置にずっとしまわれたままだった。
私がそのギターを初めて見つけて初めてギターに触れたのがいつだったのか、覚えていない。
とにかく、私が物心ついた頃にはそのギターの存在を知っていて、たまぁ〜に(年に数回程度)物置からひっぱりだしてきて、いじって遊んでいた。
でもギターというのは、習得して弾けるようになるには根性のいる楽器である。
何しろ、指が痛い。
弦を押さえる左手も痛いし、掻き鳴らす方の右手もけっこう痛い。
しかもコードを押さえるのがまた難しい。
大人になった今でさえ、練習しようと思っても指が届かなくてコードは押さえれないし、指が痛いし、ですぐに挫折してしまう。
幼き頃ののりえもん少女がギターを習得できなかったのは無理もない。
だって、今より手が小さいんだから、弾けるわけがない。
だからギターは小さい頃から触れてはいたものの、何度となく挫折させられた楽器である。

実家にあったこのギター、かわいそうなギターだった。
なんていうか、ギターとしての天命を全うしてなかった。
その昔は若かりし頃の父(or母)が弾いていたのかもしれないが、その後はず〜っと物置に入れられっぱなしで、ホントに私がたまぁ〜に弾く以外はほとんど忘れられた存在だった。
しかも、私が確か小学校高学年の頃、大掃除か何かの際に家族のうちの誰かが壊してしまった。
直せば使えるような壊れ方ではなく、ネックが折れるか何か、致命的な壊れ方だった。
でもそのギターには悪いが、ほとんど使われていなかったので誰もそんなに気にしなかった。
「もったいないけど、でもまぁいいんじゃない、別に」
家族の誰もがそう思っていた。
なのに。
それから少し経って突然父親がまたギターを買ってきたのである。
他の家族はみんな驚いた。
私「なんで買ってきたの?」
父「壊れたから」
私「でもほとんど弾いてなかったじゃん」
父「うん・・・」
そんな会話があったかどうかは、もう記憶が定かではない。
私は壊れたのがきっかけで、音楽青年だった(?)頃を思い出し、またギターを始めるのかと思った。
違った。
せっかく買ってきたギターは壊れたギターと同様に物置にしまわれたのである。
いったい、何のために買ってきたんだ・・・。
家族の誰もがそう思ったはずである。
その後も我が家のギターはほとんど弾かれることもなく、1年のうちほんの何日かしかギターとして活躍しなかった。

それから数年経った年、私は就職で上京することになった。
エレクトーンを持っていくかどうかで悩んだいた私は、ふとギターのことを思い出した。
「あのギター、ここに置いておいても全然弾かないんだから、もらっていこう」と思い、勝手に「もらってくから!」と言って持ってきた。
その時は私はこっちに来たら、気分転換にでもギターやってみようかと思っていたのである。
当時山崎まさよしファンだった(今もだが)ことも関係あるかもしれない。
が、結局長続きしなかった。
何しろ指が痛い。エレクトーンを弾いてるほうが楽だし楽しい。
ということで、わざわざ持ってきたものの、やはりギターとして活躍することはほとんどなく、今ではほとんどオブジェと化しているのである。
我が家のギターはこういう運命なのだろうか?
将来、結婚して子供が産まれて、その子がある程度大きくなったらそのギターをあげようかな。
でも結局同じ運命をたどったりして(^^;)
でももしやらせるとしても、あまり小さい頃からやらせてはいけない。
子供の小さな手で弾けるはずもないのにやらせても、挫折感を与えたり自分はギターに向いてない、とか思ってしまうだけである(私、私)

しっかし、これ、全然日記じゃないな(^^;)
ま、いいか。

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